やじるし屋日誌

AC アダルトチルドレン 毒親そだちのトラウマバスター、萌えるビジネスコンサル塾の講師、ヒーリングセッショングループ「さちみたま」創立者である、やじるし屋@まみの日常記録

いかにして「やじるし屋」になったか 1  高校入学まで

この記事は2014年9月17日にアメブロに掲載されたものです


自己愛系毒母と、空気父と、
母を溺愛&干渉の母祖母、のもと、
同調圧力のとてもつよい田舎に生まれ育った
IQ高い・素直系アスペルガー入ってる不美人、
がワタシでした。
(昔はアスペルガーという言葉もなかったなあ)

歌って踊っておとぎの世界に生きていたらシアワセ、という、
夢見すぎ、というか、ゆめゆめしく生きてましたね。
(後年、「トウのたった文学少女」といわれるようになったなあ)

小学校一年の秋に交通事故にあって、
膵臓炎になり、
踊るのをあきらめたり、体育は全面見学だったり。
学校も休む日が多かったです。

小学2年の時、父親の本棚から、
「罪悪感の仕組み・乗り越え方」
の本を見つけ、むさぼり読む。
ダイヤモンド社の・黄色い表紙の本だったなあ。

想えば、この本が、
毒親、とか、理不尽な他人、への
対処法の学習ことはじめ、でした。

そういえば、このころから、
妹は溺愛子・私は虐待子の扱い、
明確化し始めてたなあ。

小学6年の夏、進学塾の存在を知り、入塾。

学校では、勉強してもバカにされたり、
もっとおもしろいことたくさん勉強したくとも
カリキュラムがゆるすぎてムリ、だったのが、

自分よりたくさん勉強している・賢い人たちが
全国にたくさんいることを知り、
学習内容も興味深く面白く、
いくら勉強しても
「それが当たり前」の空気がのびやかで
うれしかったなあ。

中学受験は落ちて、公立中学へ。
ガラスが毎日よく割れる、治安の悪いマンモス校

ここでイジメうけて、登校拒否に。
(不登校のハシリですな)

学校嫌いの勉強好き。
塾にはほぼ無欠席で通っていたし(至福の学習時間♪)
学校の授業は易しすぎてつまんないし、
イジメがあって同調圧力強すぎで
「私の側には」行く理由がなかった、
と今でも思っています。

(五味太郎さんの本にもお世話になったなあ。
大人「が」問題だよねっ)

自由な校風・礼拝の時間もアリ・図書館も充実、
3年生からは大学の授業も受けられる
偏差値高い・自由な高校に
あこがれていきたくて猛勉強。
しあわせでした。

合格したんだ、けど。

「金がかかる金がない」
と連呼する母親を見て、
そうなのかなあ、と悩みつつ、
一番陰湿ないじめをしていた男も受けた・
一番行きたくなかった公立進学校を受験。

一教科、白紙で出そうか、
受験時間中、ずーっと悩んだ。

自分の大切な夢よりも、
親孝行、を選んでしまった。

合格発表の翌日、
母は、200万円の毛皮のコートを買って大はしゃぎ。

さらに、保護者向け入学説明会も、彼女は遅刻して、
あわや入学取り消しか、の騒ぎに。

あのときの不信感と失望感は、
まだ「毒親」「アダルトチルドレン
ということばに出会う前の
自分の人生を決めたかもしれない。

 

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